富田林市唯一のギャラリーオーナーと建築が好きすぎるイラストレーターが語る「富田林寺内町」の魅力とは?
令和3年3月6日から14日に、富田林市で唯一のギャラリー「Gallery Blau Katze」にて、『電車で行ける江戸時代ーコジマユイによる寺内町イラスト展ー』が開催されました。Gallery Blau KatzeのオーナーであるKatsu.AOEさんと建築が好きすぎるイラストレーターのコジマユイさんがタッグを組み、富田林寺内町のイラスト展が行われたものです。今回は、富田林寺内町の印象や想いを中心に、お二人へインタビューを行いましたので、ぜひ最後までご覧ください。
富田林市の東地区と西地区を繋げたい想いで始まった。
ー今回のイラスト展は、どのようなきっかけで始まったのでしょうか?
Katsu.AOE:コジマユイさんは、過去にGallery Blau Katzeで開催するグループ展に参加したことがありました。その時から、私自身がコジマユイさんのファンで、ずっと「声をかけたい!」と思っていましたが、なかなかきっかけがありませんでした。
Katsu.AOE:また、私が富田林市に引越ししてきて3、4年ほど経つのですが、富田林寺内町を知らない人が周りにたくさんいました。Gallery Blau Katzeは市の西側、富田林寺内町は市の東側という位置関係にあるので、「どうにかして富田林市を東西で繋げたい!」という想いを根底に持っていました。
Katsu.AOE:そのようなときに、富田林テレビ2020年6月号の出演を通じて、改めてコジマユイさんとご一緒させてもらう機会をいただきました。その共演の中で私からラブコールを送った結果、今回の企画に繋がりました。
コジマユイ:生放送中でのオファーだったので、驚きました(笑)私は大阪市内在住で、富田林寺内町には過去に一度だけ行ったことがありました。当時の印象は、「古い町並みがある」という程度のものでした。今回のオファーは、私としても古い建物をあまり描いたことはなかったので、チャレンジという意味合いもあり、受けさせてもらいました。
人同士の繋がりが強く、「今」と「昔」が共存している。それが富田林寺内町の強さという印象。
ー今回の企画にあたり、何度も富田林寺内町を訪問したと伺いました。訪問時の感想をお聞かせください!
Katsu.AOE:富田林市の魅力は「人情」だと思っています。周りの人たちはとても優しくて、お世話をやいていたりなどの印象が強いからです。富田林寺内町の方々との繋がりが広がったことで、より深い「人情」を身近に感じるようになりました。富田林寺内町は、人情あふれる人がお店をオープンして住んでいる町だと思います。
Katsu.AOE:富田林寺内町は、歩けば歩くほど、お店や道、人を覚えていくことができる町です。そのため、多くの人に何度も訪れてほしい町ですね。今では、私も地図を見なくてもしっかり歩けるようになりました。
ーなるほど、キーワードは「人情」ですね!コジマユイさんはいかがでしょうか?
コジマユイ:私の印象は、人同士の「繋がり」がとても強い町だと思いました。そして、「よそ者」である私を温かく迎え入れてくれた「優しい町」です。今までいろいろな町を見てきましたが、富田林寺内町はとても素敵な町だと思います。
コジマユイ:私が住む大阪市内には、若者向けの観光スポットやお店が多くあります。しかし、お店がそれぞれ「個人のお店」として孤立している印象がありました。それに対して富田林寺内町は、お店同士が連携しています。どのお店を訪れても、「次は、このお店どう?」などの紹介を、積極的にしていただきました。様々な町を訪れる中でこのようなことは初めてで、「町に住んでいる人たちが、町のことをとても好きなんだな」と感じました。だからこそ、今の時代までしっかりと歴史が守られているという印象です。
ー「繋がり」と「優しい町」というキーワード、良いですね!
ー今回、富田林寺内町を描いてみて感じたことも聞かせてください!
コジマユイ:富田林寺内町は、古い建物が多く現存しているだけではありませんでした。近年建築したものであったとしても、昔の形に合わせて建てられていました。新しい建物もこれから木が痛んで、どんどん町に馴染んでいくのだろうなと思います。他にも、さりげなく電柱や標識があったことが良かったです。時代の移り変わりと共に、今と昔の時代が共存していることを肌で感じました。普通に観光をするだけでは見えない視点かもしれませんが、現代との共存にも町の人の「愛」が見えました。
ーコジマユイさんは、Instagramで富田林寺内町の絵を描くライブ配信もされていましたね!反響はどうでしたか?
コジマユイ:Instagramのライブ配信自体は、緊急事態宣言を受けて始めたものです。ほぼ毎日22時から配信しています。今回の富田林寺内町の絵のライブ配信では、富田林寺内町の店舗の人も見てくれていました。そして、東京や九州の人も見てくれていました。Instagramは、若年層が主に活用するSNSの一つであり、文章で情報が目に入るものではありません。しかし、ライブ配信を通じて「声」と「絵」で届けることで、富田林寺内町の情報を届けることができたと実感しています。
「よそ者目線」で感じた富田林寺内町のポテンシャル。
ーいわゆる「よそ者」でもあるコジマユイさんからみた、富田林寺内町のポテンシャルを教えてもらえませんか?
コジマユイ:実際に富田林寺内町へ行って、「こんなに良いお店があるんだ!」と何度も思いました。それと同時に、「まだまだ世の中に知られていない魅力的なお店が富田林寺内町にはある!」とも思いました。Instagramでも情報を探していると、富田林寺内町にあるお店のアカウントはたくさんありました。
ーInstagramのアカウントは多くあるのですね。知りませんでした!
コジマユイ:そうなんです。私も様々な発見がありました。そして、「古い町が好き」というニーズは、特に若い女性を中心に、まだまだ全体的に高いと感じています。そのため、魅力的なお店が多い富田林寺内町には、まだまだ様々な可能性があると思います。そして、「これからもっと盛り上がる町だな!」と肌で感じました。まずは、多くの人に、実際に富田林寺内町へ足を運んで、体感してほしいです。
企画展に関わる全ての人たちへ、感謝。
ー今回の寺内町イラスト展、8日間で150名のご来場があったとのことでしたが、開催していかがでしたか?
Katsu.AOE:まずは、企画展に関わる全ての方に感謝致します。富田林寺内町の店主の皆様に紹介されて、足をお運びくださるお客様がたくさんいました。ギャラリーのお客様も、この展示会を観て富田林寺内町を散策したくなったと言ってくださいました。この交流の波紋が、ゆっくりでもじわじわと広がれば嬉しいです。そして「この企画を主催してくださってありがとう」の皆様からの言葉が嬉しかったです。ありがとうございました。
コジマユイ:富田林寺内町の方々の多大なるご協力で成功した展示でしたが、展示を通し「寺内町をはじめて知った」、「寺内町にいきたくなった」といったお声も多々聞くことができ、少しでも富田林寺内町に恩返しできたかな、と思っています。
ー読者に「富田林寺内町のここを知ってほしい!」みたいなことはありますか?
Katsu.AOE:まずは、お店の人と話をしてほしいです。お店が忙しい時はともかく、他にお客さんがいていない時は、気軽にお店の人に声をかけてみてください。そうすることで、もっと楽しい富田林寺内町が知れると思います。
コジマユイ:私は、富田林寺内町が大阪市内から意外と近いなと思いました。若い人が好きなお店もたくさんあるので、20代などの若者世代の人にも、ぜひ訪れてほしいと思っています。デートスポットとしても、間違いない場所です。
ー最後に、富田林寺内町の人たちに向けてメッセージをお願いします。
Katsu.AOE:この度は、イラスト展にご協力いただき、誠にありがとうございました。この企画を通して、富田林寺内町を深く知ることが出来てよかったです。また、多くの繋がりが出来たことも嬉しかったです。みなさんの反応が良かったので、またやりたいです!
コジマユイ:今回のイラスト展は、富田林寺内町の方々の協力なしでは絶対に成り立ちませんでした。これをきっかけに、もっと富田林寺内町を訪れる人が増えたらいいなと思っています。私もまた改めて友達を連れて、富田林寺内町を語りながら歩きたいと思います!
●コジマユイ-Profile-
1992年生。大阪府堺市出身。建築好きのイラストレーター。
人の営みが感じられる建物を好んで描いています。日々の営みに疲れてしまっても、わたし達には帰る場所があります。そんな当たり前のことを、忘れないように、私自身にも問いかける作品たちです。建築物は使わなければすぐに朽ちてしまいます。わたしのイラストをきっかけに、建築の良さに気づいてくれる人が増えればいいなと思います。
・大阪府立港南造形高等学校総合造形科卒業
・大阪芸術大学附属大阪美術専門学校総合デザイン学科グラフィックデザイン専攻卒業
●Katsu.AOE-Profile-
2003年トールペイントに出会う。独学で始めるが、その後、講師資格取得を目指す。2006年講師資格取得後、サロンタイプの教室を開設。2011年病気発症のため中断。退院後も予約制の教室を続けつつ絵画制作を始める。オリジナル作品、第1作目をドラード国際芸術 文化連盟主催「第2回創作表現者展」に出展。奨励賞を受賞。以降、出展活動を開始し現在に至る。その後、作家活動を続けながら、2017年企画画廊Gallery Blau Katzeをオープン。2018年第2回FUKA展終了直後、再び病気発症(心筋梗塞)するが、約1カ月後企画展示会を開催。現在も病気と向き合いつつ、作家活動、画廊オーナーとしての活動を続けている。
【死んでなお生き続ける作品を描きたい。最大最高の夢である。】